昨日、友人と、仕事pcやペンギンpenguin等(笑)、いろいろなお話を肴に飲んでいましたところ、「奴鴈」という言葉ができてきました。

なに?

と聞くと、昨年の大学卒業25周年記念事業の際に、母校の塾長が話していたのを覚えていないのか、と叱られました。
これは行けないと思い、「どがん」とネットで調べると、まさに、その塾長のお話がでていたので、早速読むことに。

長いので、「奴鴈」のあたりだけ、コピペします。
そう、これは、学者に限らず、持つべき姿勢だとおもいました。

~2013年01月10日 第178回福澤先生誕生記念会年頭の挨拶 「奴雁(どがん)の視点で」~

「奴雁
 このように教育は目先の即効性ではなく,長期的な効用を重視して行わなければなりません。それは変化の時代であればあるほどそうであると思います。その時々の流行に流されず,学生の長い人生に最善と信じる学塾とするということです。
 このことで想起されるのが,連合三田会会長の服部禮次郎さんもお好きな言葉だと書いておられた福澤先生が言われた「学者は国の奴雁なり」という言葉です。明治7年の『民間雑誌』に書かれた文章を少し引用しますと,「群雁野に在て餌を啄むとき,其内に必ず一羽は首を揚げて四方の様子を窺い,不意の難に番をする者あり,之を奴雁と云う。学者も亦斯の如し。天下の人,夢中になりて,時勢と共に変遷する其中に,独り前後を顧み,今世の有様に注意して,以て後日の得失を論ずるものなり」と書いておられます。
 すなわち,雁の群れが一心に餌を啄ばんでいるときに,一羽首を高く揚げて難に備えるものを奴雁という,学者もまた,社会の人々が目先の利益に汲々としているようなときに,ひとり遠くを見据え,現状を冷静に分析し,将来のために何が最も良いかを考える者でなければならないと,おっしゃっておられるわけです。
 福澤先生自身がまさにこのような態度を貫かれており,これを福澤の研究家である伊藤正雄氏などは「たとえば,早く封建主義に反対して,国民を文明開化に導きながら,西洋直訳の民権論などが横行する世の中になれば,逆に国権論を唱えて,国民の自覚を促し軽挙を戒め,さらに国権主義の風潮が盛んになって,極端な国粋主義や軍国主義に発展する危険があれば,またその無謀を警告する」と述べています。時流に流されず,しっかりと自分の頭で考えて発言し,行動するという態度です。そしてその基礎となるのが,学問であり,先ほど幼稚舎生たちが「福澤諭吉ここに在り」と元気に歌ってくださったように,人々が立ち騒ぐなかで,一人冷静に学問にいそしみ,学問によって将来の日本の近代化に備えられた福澤先生に,われわれはいつでも立ち返らねばならないと思います。
 学問の大切さは,われわれの見ているものや経験は必ずしも真理ではなく,事物の真理は学問を通じてはじめて正しく理解されるということです。コペルニクスやガリレオ・ガリレイの地動説は人々の実体験と正反対だったため,最初は異端の説とされましたが,しかしやがてそれが真理であることを人々は理解し,それがニュートン力学に結びつき,産業革命を可能にして今日の物質的に豊かな社会の基礎となっていることを考えれば,学問による真理探究がいかに大切であるか分かると思います。大切なのはそうした長期にわたって社会を発展させるような学問,今は役に立たないように思われても将来大きな効用を人類にもたらすような基礎研究を進めることだと思います。大学の学問による社会貢献もこうしたところにあると考えています。」

投稿者: 水戸聖子税理士事務所